デリバリー型になった令和時代の中学校給食と昭和の給食を比較!

変わりゆく学校給食:昭和から令和へ
デリバリー型給食がもたらす新たな選択肢
神奈川県横浜市の中学校で導入された「デリバリー型給食」は、私たちが慣れ親しんだ学校給食の風景を大きく変えつつあります。
この新しい形式は、単に食事の提供方法が変わっただけでなく、子どもたちの食に対する向き合い方や、学校生活そのものにも変化をもたらしているようです。
今回は、この横浜市のデリバリー型給食を切り口に、私が子どもだった昭和の給食と、
現代の令和の給食との違い、そして変わりゆく学校給食の魅力について、エッセイ風に綴ってみたいと思います。
デリバリー型給食の導入が描く、令和の給食風景
横浜市の中学校で2021年春から採用されたデリバリー型給食は、小学校の給食とは一線を画する点がいくつかあります。
最も大きな違いは、「注文した生徒のみ」がこれを食べられるという点です。注文しない生徒は、お弁当を持参するのが基本です。
しかし、普段お弁当を持参している生徒でも、当日の朝7時半までに注文すればデリバリー型の給食を食べることができます。
この「選べる」、そして「変えられる」という自由なルールは、現代の子どもたちにとって非常に魅力的なのではないでしょうか。
私が子どもの頃、小学校でも中学校でも、毎日の給食が何よりも楽しみでした。
食べ残すことはほとんどなく、そのことが誇らしくもありました。
「今日はこんなにおいしいものが出て、おかわりの行列に自分も並んだんだよ」などと、よく母に話していたことを思い出します。
私だけでなく、友達も皆、給食が大好きで、ニコニコしながら食べていた記憶があります。
当時の学校生活において、給食はまさに中心的なイベントの一つだったのです。
しかし、当時に比べると、今では食べ物のアレルギーを持つ子どもが非常に多いと聞きます。
給食かお弁当かを選べることは、アレルギーを持つ子どもたちにとって、これほど大きなメリットはないと感じます。
アレルギー対応の難しさから給食を諦めざるを得なかったり、除去食の選択肢が限られたりといった状況に、
デリバリー型給食は柔軟に対応できる可能性を秘めているのです。
さらに、デリバリー型給食は、すでに盛り付けされたお弁当に近い形で生徒に配布されるそうです。
これはつまり、「給食係」が必要なくなることを意味します。私の時代には、白衣と三角巾を身につけて配膳をする給食係が当たり前のように存在していました。
お昼の準備風景は、慌ただしくも活気に満ちた、学校生活の象徴的なワンシーンでした。
それがなくなるというのは、学校でのお昼の風景が、時代とともに少しずつ変わっていくことを実感させられます。
昭和の給食:懐かしき思い出と、その役割
給食の思い出:日々の楽しみと社会性の育み
昭和の学校給食は、単なる食事の時間ではありませんでした。
それは、子どもたちが共に食卓を囲み、同じものを食べることで、協調性や社会性を育む大切な時間でした。
当時は、給食のメニューも、今のように多様ではありませんでした。コッペパンに脱脂粉乳、鯨の竜田揚げ、
ソフト麺にミートソースなどが定番で、給食レシピとして懐かしむ人も多いのではないでしょうか。
決して豪華なものではありませんでしたが、それでも私たちは毎日、給食の時間を心待ちにしていました。
給食の時間には、当番制で配膳を行い、苦手なものを克服するために、先生から励まされたり、友達と励まし合ったりすることもありました。
時には、完食できない子に周りの子が手を差し伸べる光景も見られました。
それは、食育の場であると同時に、集団生活における助け合いの精神を学ぶ場でもあったのです。
また、給食は、家庭ではなかなか食べられない栄養バランスの取れた食事が提供される貴重な機会でもありました。
高度経済成長期を経て、食の欧米化が進む中でも、給食は日本の食文化や健康を支える重要な役割を担っていたと言えるでしょう。
給食の歴史を紐解くと、戦後の貧しい時代から、子どもたちの成長と健康を支えるために、様々な工夫が凝らされてきたことがわかります。
献立に垣間見る時代の変化
昭和の給食の献立は、その時代の食糧事情や、栄養に対する考え方を色濃く反映していました。
例えば、1950年代から60年代にかけては、戦後の栄養改善を目的として、パンや脱脂粉乳が中心でした。
肉や魚が貴重だった時代には、鯨肉が頻繁に登場しました。そして、1970年代以降は、
米飯給食が導入され始め、食文化の多様化とともに、和食の献立も増えていきました。
給食の人気ランキングをもし作るとしたら、私たちの世代では、カレーライスや揚げパン、ソフト麺などが上位にランクインすることでしょう。
それらのメニューには、それぞれに思い出があり、今でも語り草になっているものがたくさんあります。
令和の給食:多様化するニーズへの対応
アレルギー対応の進化と選択肢の増加
現代の学校給食、特に令和の給食は、昭和の時代には考えられなかったような多様なニーズに応えるべく進化しています。
その最たるものが、食物アレルギーへの対応です。以前は、アレルギーを持つ子どもたちは、給食を諦めたり、
限られた選択肢の中で我慢を強いられたりすることが少なくありませんでした。
しかし、現在では、アレルギー源となる食材の除去や代替食の提供、そして横浜市のようなデリバリー型給食による「選択」の自由が広がりつつあります。
この「選択」の自由は、アレルギーを持つ子どもたちにとって、給食の時間が苦痛ではなく、安心して楽しめる時間へと変わる大きな一歩です。
また、保護者にとっても、アレルギー対応の不安が軽減され、子どもが安心して学校生活を送れるという点で、計り知れないメリットがあると言えるでしょう。
給食と食育:現代における新たな役割
デリバリー型給食の導入により「給食係」が不要になるという変化は、学校における食育のあり方にも影響を与えるかもしれません。
これまでの給食では、配膳を通して、子どもたちが協力することや、食事への感謝の気持ちを育む側面がありました。
しかし、デリバリー型給食では、そうした直接的な関わり合いは減少します。
では、現代の給食は、どのような役割を担っていくのでしょうか。私は、これからの学校給食は、より一層、「食に関する指導」に力を入れていく必要があると考えています。
例えば、メニューの栄養バランスについて学ぶ機会を増やしたり、食材がどこから来て、どのように作られているのかを知る食農教育を取り入れたりすることです。
また、多様な食文化に触れる機会を設けることで、子どもたちの視野を広げることもできるでしょう。
変わりゆく学校給食の形の中でも、子どもたちが「食べる喜び」を感じ、食を通じて豊かな心を育むという本質的な目的は、決して変わるべきではありません。
まとめ:時代とともに進化する学校給食
昭和から令和へ、学校給食は大きな変革期を迎えています。私が子どもの頃に経験した「みんなで同じものを食べる」給食から、現代の「選べる」デリバリー型給食へと変化したのは、時代の要請であり、子どもたちの多様なニーズに応えるための必然的な流れであると感じています。
給食の歴史を振り返ると、常にその時代の社会状況や、子どもたちの健康を第一に考え、進化を遂げてきたことがわかります。たとえ形が変わっても、学校給食が子どもたちにとって、食べる喜びを感じ、心身ともに健やかに成長するための大切な時間であることに変わりはありません。そして、家庭での食育を支えるツールとして、COSORI ノンフライヤーのような便利な調理器具を活用することも、現代の豊かな食生活を送る上で非常に有効な手段だと考えます。
これからも、変わりゆく学校給食が、子どもたちの笑顔と健やかな成長を支え続けてくれることを心から願っています。
元学校栄養士直伝!学校給食の唐揚げ
by 栄養士のゆいごはん。
材料(2人分)
鶏肉 / 650g
片栗粉 / 大さじ6
卵 / 1個
揚げ油 / 適量
<下味調味料> /
醤油 / 大さじ4
酒 / 大さじ4
塩麹 / 大さじ1
砂糖 / 小さじ1
ごま油 / 小さじ2
おろしにんにく / 2片(10g)
おろし生姜 / 2片(10g)
鶏がら(顆粒) / 小さじ1
レシピを考えた人のコメント
実際に学校給食で働いていた私が直伝!学校給食の唐揚げレシピです。
子どもから大人まで大好きな味を完全再現しました~!
冷めても絶品ですよ♪